April 2009

2009年
4月5日
(日)
【4月になり、さくら満開!】
 4月になり寒さも和らいできました。 3月中旬に九州・福岡から始まった桜前線、今や西日本全域〜関東付近を北上中のようですね

そろそろ散り始めのさくら
 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)は、今日、「人工衛星」を打ち上げましたね。 昨日は飛翔体の誤探査騒ぎで、国中が少しばかり上ずっていましたが、今日は落ち着いて情報の伝達ができたようです。

 春の選抜高校野球は、九州・長崎の清峰高校が見事に優勝しましたね。 長崎県勢として初優勝、九州に拠点を置く編集部としても、喜ばしい限りです。

 WBC で見事に優勝した日本のプロ野球も開幕、福岡地元のソフトバンク・ホークスは、オリックスとの開幕3連戦を、2勝1敗でスタート。 今シーズンも頑張って欲しいものです。


2009年
4月12日
(日)
【山梨小旅行・白州〜雨畑】
 この週末は、ちょっとした小旅行に出かけてきました。 東京の西側、関東か甲信越か微妙な位置にある山梨へ、2月のワインの「勉強」 に続いてウィスキーの「お勉強」と、 心の洗濯と石の鑑賞を兼ねて人里離れた山村に足を向けてみました。

=★サントリー白州蒸留所★=
(左上)現地の案内看板 (右上)1973年にオープンしたこの蒸留所の樽
(下)サントリーの白州蒸留所から望む八ヶ岳

 サントリーのシングルモルト・ウィスキー「白州」が造られている白州蒸留所は、山梨県でも長野県側の西部に位置する北杜市にあります。 JR中央線で、八ヶ岳方面に分かれる小海線との分岐駅の小淵沢駅から車で15分ほどのところです。

 白州蒸留所は、1923年に工事に着手したサントリーの山崎蒸留所(京都)から50年後の1973年に開設されました。 ここでは、ウィスキーと、サントリーの天然水「南アルプスの水」も造られています。 のんべぇ編集長は、ウィスキーのツアーに参加し、 しっかり「勉強」してきました。

=★白州蒸留所→甲府→身延★=
甲府市南部の身延線から望む富士山
 ほろ酔い加減(?)でウィスキーの勉強を終えると、すぐに電車に乗らなければなりません。 今日の目的地への足が限られているからです! JR小淵沢駅に踵を返して甲府まで中央線に乗り、甲府駅では6分間で南に下る身延線に乗り換えます。

 甲府から富士川沿いを南に下って、静岡県富士市に至るJR身延線は、JR東海の管轄なのですね。 今回乗って、初めて知りました。

 2両編成の身延線の電車は、途中の駅で対抗電車とすれ違いながら、富士川に沿って下っていきます。 途中までは左手の山の向こうに富士山の頭が見え隠れしていましたが、いつしか富士山の姿も見えなくなり、甲府から1時間を過ぎた頃に身延の駅に着きました。

甲府と富士の中間付近に位置する身延駅

 身延からは、今回の目的地である山梨県南巨摩郡早川町の雨畑に向かうバスに乗ります。 このバスは1日2本しか運行されてないため、乗り遅れたら最後、辿り着けないのですよ。 身延線の電車はちょっと遅れていたのですが、なんとかバスに間に合い、 ほっと一息。 乗客は自分一人の貸切状態、バスは西に向かい、南アルプスの山間に入っていきます。 途中で地元の方と思しき年配のご婦人が乗ってこられました。

 バスに揺られること1時間、辺りは日が暮れて暗くなった中、目的地の雨畑に到着。 馬場(ばんば)のバス停の前の「VILLA 雨畑」に投宿します。

=★VILLA 雨畑・硯匠庵・雨畑点描★=
(左)VILLA 雨畑の温泉は「すず里の湯」昼間でもゆっくり入ることができる
(右)VILLA 雨畑から南西方面を望む満月の夜(F3.5 10秒)

 チェック・インすると、すぐに夕食、山菜を中心にしたご馳走でした。 この頃には「お勉強」の成果だった酔いもすっかり醒め、昼間暑かったのをいいことに(?)、待望のビールを戴きます。

 食事の後は温泉「すず里の湯」に入ってリラックス、いやぁ極楽ですねぇ。 温泉で一緒になったおじさんは、東京からお越しとのこと。 この夜は5組ほどのお客さまが一緒でした。

 山の中なので、コンビニも、カラオケもありません。 テレビは民放が2局。 風呂上がりに地元の酒を飲み乍ら窓の外を見ると、何と!満月じゃぁ〜ありませんか! 車も通らずシ〜ンとした中、カメラの設定をあれこれ変えながら、 チョットばかり遊んでみた中で撮れた写真が上の写真。 夜中でも結構写るものですね。

VILLA 雨畑のすぐ前にある硯匠庵

 夜が明けて朝を迎えました。 山あいの地なので、少し肌寒い。 目覚ましと身体を暖めるのを兼ねて、温泉「すず里の湯」に入ると、いい具合の体感温度。 朝食を済ませると今回のメインイベント、硯匠庵に向かいます。

昭和22(1947)年に1対2面作られた硯の1面
もう1面は天皇に献上された
 今回訪れた雨畑は、日本でも有数の硯の産地。 東京からも近い山梨に位置すること、あまりメジャーな場所ではないこと(編集長はヘソ曲がりの天の邪鬼なので、人が行くところには行きたがらない!)から、今回、思い切って雨畑を訪れた次第。  日本有数の硯の産地でホンモノの硯を見たかったからというワケです。

 硯匠庵には、中国の端渓硯や澄泥硯をはじめ、さまざまな硯が並び、勿論この地の雨畑硯も多数展示され、一部は販売されていました。

 雨畑の硯は自然の原石の姿を尊重して製作するのが特徴とのことで、並んでいる硯の多くは自然の形(長方形や正方形ではない!)の中に硯の姿が彫られていました。 この辺りは中央構造線に近いことから、硯に適した石が採れるとのこと。  う〜ん、なるほど。 中央構造線は富士川沿いでしたね。

 硯匠庵を見た後は、雨畑湖の畔を散策。 この湖は日本軽金属の水力発電用のダムとして建設されたとのことです。

(左)桜が映える雨畑湖 (右)青空には飛行機雲が直線を描く

(左)雪が残る南アルプスを遠くに望む (右2枚)雨畑湖上流にある見神の滝

 さて、身延に戻るバスの時間も迫ってきました。 雨畑から身延に向かうバスは 2009年4月時点で朝と昼の2本。 昼の13時のバスを逃すと、もう帰れないワケですね。  昨夜は撮影できなかった VILLA 雨畑の様子を少しばかり・・・。

今回お世話になった VILLA 雨畑

 VILLA 雨畑の一帯は、かつては硯島村と呼ばれ、現在の早川町になった後は硯島地区になりました。

硯島小中学校閉校記念の碑
 ここには硯島小中学校があったそうですが、地区の子供達の数の減少に伴い、昭和58(1983)年3月31日に学校が閉校され、その跡に VILLA 雨畑がオープンしたとのこと。 VILLA 雨畑には広いグラウンドもあり、 片隅には写真のような閉校記念の碑がありました。

 「硯島」と、地名にも残るような場所なので、歴史的にも硯の本場であることは間違いなかったようです。

 硯の地で心洗われた後は身延まで戻り、身延線を富士まで下って、東海道線+東海道新幹線で東京に戻りました。 身延線の電車から望む富士山は、大きく美しい姿を車窓に見せてくれましたよ。 よく考えると、 今回は「富士山一周の旅」でもあったような・・・。 今日は長くなりました、悪しからず。
(左)身延線・沼久保〜西富士宮間の車窓から望む富士山
(右)東海道線・富士〜吉原間間の車窓から望む富士山


2009年
4月19日
(日)
【春全開〜暖かくなりました】
道ばたに力強く咲くタンポポ
 4月も半ばを過ぎ、暖かくなりました。 日によっては少し汗ばむほどです。 東京では桜の樹も緑色に変わり、次は躑躅が綺麗な時期になりました。

 先日、年に1回の定期健康診断を受け、身体の「オーバーホール」をしました。 う〜ん、体重が少しばかり増えている。 メタボ対策で測定する腹周りの寸法も・・・ 幸いに世間の要警戒レベルまでは到達してませんでしたが、油断するとあっという間にメタボ予備軍から「入会申込書」が届きそうな雰囲気。 足繁く、各地に出向いて取材活動を継続しろという、 神(日本)や仏(タイ)の思し召しなのでしょう。

 前回の日記が長編だったので、今日は軽めに・・・。 そろそろゴールデンウィークの準備に忙しい時期ですね。 今年は「高速道路一律 \1,000 制度」のお陰で、 各地の高速道路で長蛇の渋滞が予想されているようですね。 車が無い我が編集部では、移動は専ら公共交通機関頼りです。


2009年
4月29日
(水)

昭和の日
【岡山・倉敷に行きましたよ】
大原美術館と前の運河にかかる今橋
 4月も残り2日ですね。 今日は昭和の日、既にゴールデンウィークに突入されている方もあるかもしれません。

 メキシコを「震源」とする突然の新型インフルエンザの流行で、さまざまな方面で影響が出ているようです。 2003年4月のSARS騒ぎ2004年1月の鳥インフルエンザの人間への感染 事例など至近の事例を振り返ってみると、暫くの間はメキシコや感染者が確認されている国のみならず、海外渡航は控えた方が無難なようです。

 さて、先週末に岡山に行く機会があったので、チョット足を伸ばして倉敷に行ってみました。 マジメに勉強してなかったのですが、倉敷は岡山から電車で 20分かからない程度の近いところにあるんですね。  倉敷に行ったのは月曜日だったので、メインの大原美術館は休館で、観光客もマバラ。 大原美術館周辺の「美観地区」は、ゆっくり楽しめました。

 岡山では、現地の方に知る人ぞ知るうどん屋に連れて行って貰いました。 いやぁ、美味かった! 流石、讃岐直伝(?)の味でした。 東京では、基本的には「うどん」よりも「そば」の文化ですから、 九州で「うどん」が当たり前だった口にはよく合いましたね。 余りのオイシサに、うどん屋さんの写真は撮り忘れてしまった!