November 2004

2004年11月2日(火)

バンコクのセントラル・ワールド・プラザ(ISETAN が
入っているショッピングセンター)前の大型 LED 画面
 今年も残り2か月足らずになりましたね。 10月の日記は 16日も書いてしまいました。 こんなに書くことはもう無いだろうなぁ…。

 日本では恒例の年賀はがきの発売が始まりました。 そして今年は,先月のタイの新50バーツ紙幣に肖ったわけではないでしょうけど(笑), 20年ぶりの新札の発行ですね。 早くも手にされた方も多いのでは? まさか日本じゃ,どこかのバーツ国の如く流通初日に額面より高値で取引されるってことは無かったのでしょうね(笑)

 お札といえば,あの 2000円札の扱いはどうなったのでしょうか? 今回の新札発行にあわせて,CD や ATM,自動販売機などの 2000円対応が施されたのでしょうか?

 アメリカでは 10ドル,50ドル,100ドルに加えて,20ドル札がありました。 タイでも 10バーツ,50バーツ,そして 100バーツの紙幣とともに20バーツ紙幣があります。 どちらの国の人達も,それぞれに「20」の紙幣をうまく使いこなしています。 日本はどうなのでしょうかね?

 バンコク滞在も今週まで。 編集部の命運をかけて購入した宝くじ,今日の新聞に抽選結果が載ってました。 結果や如何に? 今回のバンコクからの日記,とりあえず今日までかなぁ。


2004年11月4日(木)

バンコク市内,ワット・サケット近くの仏具屋さん

 早いもので1か月なんてアッという間。 かつての夏休みを思えば確かにその通りなのですが,年をとるに連れて(いや,以前から?)学習能力が低下しております。  「もうそれ以上は低下しないだろう!」という声も聞こえてきそうですが…。

 バンコクに行く時と同様,今夜何とか荷物をまとめ終えました。 明日の深夜,バンコク発の便で日本に戻ります。 今回は比較的大人しくバンコクで過ごしていたので, 「コレ!」というスクープもありませんでした。 宝くじも見事に外れたので,故郷に錦も飾れません(悲)。 バンコク土産は洗濯物,我が家の洗濯機が喜ぶことでしょう。

 アメリカの大統領選挙,ブッシュ氏の再選でしたね。 実はタイの現首相のタクシン氏は,アメリカ留学時代にブッシュ氏と同窓だったとか。 昨年10月にバンコクで開催された APEC でも, ブッシュ大統領の扱いは格別でした。 タクシン首相も喜んでいることでしょう。

 向こう暫くは,また日本からの書き込みになります。 10月に較べると,更新頻度が下がる(=アクセス数も落ちる?)ことになるかと思いますが,ご了承下さい。


2004年11月6日(土)

夜のバンコク・ドンムアン空港
 1か月ぶりの日本,今朝無事に福岡の地に帰り着きました。 昨夜のバンコク,毎週金曜日は地方からバンコクに繰り出す輩が多いので, いつもより車が多いのですが,昨夜はいつもの金曜よりちょっと渋滞が激しい感じだったので,少し早めに出たところ結構早めに空港に着いてしまった。  時間があったので,夜の空港を撮影してみました。 なかなかいい写真が撮れませんでしたが…。

 飛行機はバンコク時間で夜中の 01:00(=日本時間 03:00)発。 実質飛行時間は5時間弱なので熟睡できるのは4時間ほどですが, 今回も前回同様,あまり眠れませんでした。

 今日の福岡は思ったより暖かでしたが,やっぱ朝はかなり冷えるようになったようです。 気候に順応するための「リハビリ」期間が暫く必要でしょう。


2004年11月10日(水)

バンコクのカオサン通りに近い民主記念塔
(アンヌサワリー・プラチャーティパッタイ)
 秋を迎えた日本,バンコクに較べると朝晩はかなり温度が低いようですが,幸いにまだ「寒さ」までは感じていません。 日本に帰ってきてからは職場の仲間と飲み歩き,初日早々から午前様でした。  まぁ善し悪しは別にして,こういう風習も「日本らしさ」の一つなのでしょうね。

 久しぶりに,畳に敷いた布団に寝ています。 ちょうど今の時期,寝る時は寒くないものの朝方はちょっと冷える日もある感じで,着布団や毛布ではちょっと暑いかな? タオルケットではもう寒いかな? という感じ。  バンコクでは味わえなかった感覚です。 我が家は煎餅布団ではありますが,やはり畳の上の感触はいいですね。 日本を離れるとこの「畳」の感触にはなかなかお目にかかれません。 最近ではバンコクでも,日本人向けの畳敷きのアパートや, 畳を売る商売も出てきています。

 さぁ今年も残り2か月あまり,これからだんだん慌ただしくなりますね。 これもまた「日本的」な時間の流れなのでしょう。


2004年11月12日(金)
 某氏の Blog で「日本人は天候の話題が大好き!」との記述がありましたが,噂ではイギリス人も仲間らしいです。 まぁ地球規模で見ると,人が沢山住んでいる温帯の中でも天候が変わりやすい地域では, このような話題が自然になるのは当たり前っちゃ,当たり前でしょう。 ちなみにタイでの挨拶は「もうご飯食べた?」,さすが世界でも指折りの食糧自給国ですな。


バンコクの「穴場的三社参り(?)」寺院の一つ
ワットサケットの「屋上」
 さて,このところ日本のいろんな習慣や言葉を第三者的立場で勝手に「分析」しておりますが,今日は日本語の人称名詞について。

 英語では自分を表す単語は,知る限り "I" だけのようですが,日本語になると多種多彩ですね。 「わたし」に始まって「わたくし」や「じぶん」,ちょっと偉そうに夏目漱石ばりで「わがはい」。  男性では「ぼく」や「おれ」,女性だったら「あたし」など。 そしてこれらも,ひらがな,カタカナ,漢字のそれぞれが,読む人それぞれに微妙な受け取り方の違いを醸し出していますね。

 自分との会話の相手を表す,英語で言うところの "YOU" も,「きみ」,「あなた」,「あんた」,「おまえ」そして「貴様」など。 中でも「キサマァ!」なんて,よく喧嘩の時に使われますが, こうして文字で表すとなんと高貴な言葉か!

 たまにはこうして自分の母国語を自分なりに「分析」してみるなんて,如何ですか?


2004年11月15日(月)
 今日は写真無しです。 昨日 14日(日)は,寝違いだったのか朝から首が痛くて回らない,後ろを見るにも体ごと「回れ右」をする感じでないと,振り替えることができないのです。  いやぁ,宝くじに外れた編集部が火の車だからっていうのも一因なんでしょうけど(笑)。 お陰で昨日は一日どこにも出かけず,ゆっくり養生していました。

 今日は今日で仕事が終わって帰る時,久しぶりに「寒〜い」感覚でした。 この編集部の財布を象徴するが如き「寒〜い」感覚は,今年の1月にタイ北部のチェンマイ,チェンライを訪れて以来です。  明日の朝は大丈夫かなぁ? 炬燵をしょって通勤しなきゃいけないかも…。

 久しぶりにメインに穴場的三寺院の一部をアップしました。 ちょっとばかりご覧下さい。


2004年11月18日(木)

ワットサケット近くのサパーン・パン・ファー・リラート
(パン・ファー・リラート橋)
 今日は 1901年(明治34)年に,当時の官営八幡製鐵所(現在の新日本製鉄八幡製鐵所)が操業を始めた日です。 北九州市八幡東区にあるこの工場は,20世紀の日本の近代化を支えてきました。  1980年頃まで当時の八幡地区では11月18日は「企業祭」といって学校が休みとなり,製鐵所の周辺では沢山の露天が並んで,様々な催しが開催されました。  製鐵所では工場を一般公開し,沢山の見学者で賑わったものでした。

 実は編集部員の一人は北九州の八幡の出身で,幼少の砌にはこの「企業祭」の休みの恩恵にあずかったのであります。 八幡の街で造られる鉄の品質は世界でもトップレベルで, モーターや変圧器の中の部品(鉄心)で磁石の役割をする電磁鋼板という種類の鉄板は,タイの変圧器の工場でも輸入されて使われていました。

 『今日は何の日?』ではありませんが,ネタが不足するとこんな話題しか書けなくなります。 今日はリンクのページに新たなサイトを登録しました。


2004年11月20日(土)
20,000アクセス以降の華麗な(?!)履歴
アクセス日 付時 刻1,000アクセス
所要期間
20,0002004年10月29日01:00頃
21,0002004年11月 2日23:00頃4日+21時間
22,0002004年11月 7日21:00頃4日+22時間
23,0002004年11月12日15:00頃4日+18時間
24,0002004年11月16日16:00頃4日+ 1時間
25,0002004年11月19日09:00頃2日+17時間
 このところ福岡では秋晴れが続いています。 気温もそれほど下がることなく,小春日和といった感じです。 この「小春日和」,タイ語ではどういうのかなぁ? というより, この表現を無理してタイ語にしてタイの人達に伝えたところで,実感が伴わないので通じないでしょうなぁ。

 このサイト,たくさんの皆さんのご訪問のお陰で11月19日に 25,000 アクセスを記録することができました。 今回は10月29日に 20,000 アクセスに到達して約3週間で 5,000 ヒットを数えました。  15,000 から 20,000 までの 5,000 アクセスに要した5週間あまりの期間に較べると,多くの皆さんにおいで戴いているんですね。 特にここ数日は,新たにリンクを張った効果なのか,アクセス数が上昇しています。

 日本に戻ると,バンコクの新鮮な情報をリアルタイムに更新できなくなりますが,新たなテーマでも見つけて(さ〜て見つかるかな?)このサイトを何とか続けて行きたいと考えてますので,今後とも変わらぬご愛顧,ご支援をお願いします。


2004年11月23日(火)

太宰府天満宮境内の飛梅と本殿
 今日は家族で太宰府天満宮に行って来ました。 福岡市内の我が家から小1時間,もとは '93年製ドラ息子が「梅が枝餅(太宰府名物のあんこ餅)を食べに行きたい!」なんぞと言い出したのがきっかけです。  今日は天気がよかったので,天満宮境内の本殿の裏の茶屋に行って暖かな陽光の下,家族で梅が枝餅を賞味しました。 自称「あんこが嫌い」な '96年製トンピン娘も,焼きたての梅が枝餅は流石にイヤじゃなかったのか,黙って食べてました。

 学業成就の神様として名が知られ,シーズン前には多くの受験生で賑わう太宰府天満宮ですが,宮司の息子さんが受験に失敗したというハガキが届いた地元の某ラジオ番組が,2時間のあいだ番組にならなかったという事実は,知る人ぞ知る,遠い遠いむか〜しのナイショ話なのであります。


2004年11月26日(金)

秋を実感する紅葉
 今週は杯を交わす機会が多かったので,今日はヘロヘロ。 今日も仕事帰りに誘いがあったのですが,編集部の金庫番のコワ〜い顔が思わず目に浮かび, 後ろ髪を引かれる思いで丁重にお断りしてきました。

 なんでも今日は,隣国から10億円の保険をかけたペ(ヨンジュン)さんが来日されたそうで,彼を見に行った方の幾人かが怪我をされたとか…。 こちらの日記にも書きましたが, またしても日本人らしさが露呈した一件ですね。 今日の場合は,さらなる不安全要素があった可能性があります。 それはペさんを見に行った多くの人達が,不安定な履き物(ハイヒールなど)を身につけていたと想定されることです。

 群衆が集まるところに出かけていくからには,それなりの覚悟が求められますね。


2004年11月29日(月)
 今月2回目の写真無しです。 今日は銀行の口座解約に行きました。 日本に帰ってきて,今まで使っている口座,タイに行っている間全く使わなかった口座などがあったので,ちょっと整理したものです。  最近の日本の銀行の通帳には,住所の記載も届け出の印鑑の印影も記録されないので,住所や印鑑がどうなっているのか判りません。 この状態での解約について電話で尋ねたところ,「窓口に心当たりの印鑑を持ってくれば照合する。  持ってきた印鑑が登録印と違えば,印鑑紛失→改印届の手続きの後に解約手続きをする。」というご回答でした。 早速心当たりの印鑑を持って窓口に行ったのですが,案の定印影が届出印と合わず。  ご回答のとおりの手続きとなった次第。

 日本の「ハンコ社会」は,それはそれで一つの文化なのでしょうけど,今日みたいな時はサイン一つでコトが済む西洋文化を羨ましく感じました。 印鑑を異常なほど(と地球規模で考えれば思えるのですが)に尊重する日本の社会, これからも永遠に「ハンコ社会」が続くのでしょうか? それとも,日本お得意のデジタル化・電子化をうまく活用して更なる簡便化を図りながら,セキュリティの強化を達成できるのでしょうか? 今後の日本の動向が楽しみです。

 久しぶりにメインの穴場的三寺院の最後の一つをアップしました。 ご高覧下さい。