January 2003

2003年1月3日(金)
カンボディアのアンコールワットで迎えた2003年の初日

 チョット遅れましたが,新年あけましておめでとうございます。 日本を離れて2度目の新年です。 昨年はバンコクでノンビリ過ごしましたが, 今年は「今,ここでしかできないこと」を体験すべく,隣国カンボジアのアンコール・ワットで初日を拝むことにしました。

 大晦日の12月31日,飛行機でバンコクからシェム・リアップへ,フライトは1時間ほどです。 この日はアンコール三聖山の一つ,この周辺では人気No.1のサンセット体験ポイントであるプノン・バケンに登り,2002年の「おひさまの店終い」を見守りながら, 1年間無事に過ごせたことに感謝しました。

 えぇ〜蛇足ですが,カンボディアの言葉(クメール語)で「プノン」とは丘を指します。 どこかで聞いたことがあるって? そう,首都のプノンペンの「プノン」も丘を指すのです。 じゃ「ペン」は?  興味ある方は「プノンペン」の名前の由来を,Webpage などで勉強してみて下さい。

アンコール・トムの南大門

バンテアン・スレイのヘビの浮き彫り
 閑話休題,さて新年明けて1月元旦,朝は4時半に起きて初日の出参拝であります。 今年は世界遺産のひとつ,アンコール・ワットで昇る朝日に新年の慶びに浸る(??!!)企画です。

 5時40分(こちらの現地時刻です!)頃から東の空が白みだし,南東の空に明るく輝いていた金星も時間が経つ毎に周りの明るさに勝てなくなり,いよいよ見えなくなった頃,アンコール・ワットの南に今年1番の太陽が昇ってきました。  日本で迎える初日の出とはひと味違った,何とも表現しようがない雄大な夜明けです。 1973年に消息を絶った戦場カメラマン一ノ瀬泰造(映画「地雷を踏んだらサヨウナラ」(1999)の原作者)が, 戦火の中でここを目指した意味が少しばかり感じられたような気もします。 が,しかし,数百人は居ただろうこの初日を見に来ているのは,殆どが日本人(=自分もその一人)でありました!

 シェム・リアップには3日間滞在し,世界遺産の定番,アンコール・ワット(建築年代:12世紀)はもとより,3km四方の巨大寺院アンコール・トム(「トム」とは大きい,巨大という意),その中心に位置するバイヨンや王宮跡(共に12世紀), またフランスのアンドレ・マルロー(小説「王道」の作家で後に文化相も務めた)がその美しさに魅せられ盗み出したほど素晴らしい浮き彫りが残る郊外のバンテアン・スレイ(10世紀)など,主要な遺跡を見て回りました。

 実は,昨年10月頃から,このような遺跡の面白さに家族揃って嵌りだし,寺院の建築様式,壁や柱の浮き彫りやレリーフ,遺跡に関係する王と宗教(バラモン教,ヒンズー教,仏教など)との繋がりなど, バックグラウンドを少しずつ養っているところであります。 お陰で,以前は「石ころ展示場」にしか見えなかったアユッティヤーの遺跡群も,最近では歴史や文化を知る上での貴重な資料と映るようになってきました。  東南アジアの遺跡狂の人たちは,こうして取り憑かれていき,人生を棒に振る深い教養を身につけて行くのだろうなぁと,底無し沼を目の当たりにする境地の新年であります。 ヘンな展開になってしまいましたが,今年もどうぞよろしくお願いします。  来週は1週間,仕事でインドネシア・ジャカルタ行きです。


2003年1月12日(日)

ジャカルタ市内点描
 3日の「予告」どおり,ジャカルタから11日(土)に戻ってきました。 バンコクからジャカルタまで飛行機(直行便)で3時間半,距離にして2300kmです。

 インドネシアは人口約2億人,中華人民共和国,インド,アメリカ合衆国に次いで世界で4番目に人口が多い国, 7割近くの人々がジャカルタがあるジャワ島に住み,首都ジャカルタの人口は約1000万人と聞きました。 東西約5000km(地図を見てみて下さい。 東端のパプアニューギニア国境は東京の真南,西端はバンコクよりも更に西なのです!),南北約2000kmに広がる1万5千以上の島から成り,面積は日本の約5倍の190万平方km,国内には3つの時間帯があります。  ジャカルタは最も西の時間帯に含まれ,バンコクと同じ「日本時間−2時間」です。

「インドネシア代表」
ビンタン・ビール
 街自体はバンコクよりも緑が多い感じ。 でも,交通渋滞はバンコクと同様,平日の朝夕はかなり酷いモノです。  国の大部分が南半球に位置するインドネシアは,バンコクと違って現在雨季です。 滞在中,酷い雨が1日だけ降りましたが,そりゃぁもうスゴイのなんのって, 仕事で行ってた工場の屋根が破れて滝のような水が襲ってくるほどでした。 この日の渋滞は酷かった! 工場からホテルまで30分もかからなかったのに, この日は戻るのに2時間もかかりました。

 同じアジアでも「大陸」側のバンコクとは違い,全般にインド〜アラブ系の雰囲気が漂っています。 インドネシアは人口の約9割がイスラム教徒であるせいか,街にはアラビア語の看板もチラホラ。 また,首から下は洋服なのに, 頭にはヴェールを纏った女性の姿も多く見かけました。

 今回のインドネシア訪問は,日本では一般的にそれほど重要視されていない「宗教」について,少しばかり考えさせられものでした。


2003年1月19日(日)

バンコクの「味千ラーメン」(ラムカムヘンのモール・ショッピングセンター内)

 今日は,バンコクに最近(といっても,昨年の11月頃)進出してきた,「味千ラーメン」の店に行ってみました。 「味千ラーメン」は熊本のラーメンチェーン店で,熊本の人はみんな知ってますよね。 九州のラーメンなので,スープは勿論!豚骨ベースです。
オリジナル・アジセンラーメン:49バーツ(約150円)
 今日行った「味千ラーメン」は,バンコクの中心部から東に7kmほどのラムカムヘンにあるモール・ショッピングセンターの1階に入っています。 足はバスかタクシー, または運河の水上バスのどれかです。 距離的にはそれほどではありませんが,道路の渋滞を考えると, 平日の昼間にバスやタクシーで簡単に行ける場所ではありません。(1時間以上は確実!) 水上バスも乗ったことがなければ要領が判らないので,容易ではない。

 というわけで,今日思い切って行ってみた次第。 店は日本人向けというより,地元のタイの人たち向けの雰囲気。 メニューも日本の「普通」の豚骨ラーメン(メニュー上は「オリジナル・アジセンラーメン」)をはじめ, 醤油ラーメンや冷麺など,またタイ人向けにトムヤムラーメンもありました。

 今日は初めてだったので「オリジナル・アジセンラーメン」を賞味してみます。 ちょっとスープが丸すぎる感はありましたが,なかなか美味いものでした。  量的にはちょっと少なめでしたが,これで49バーツ(約150円)。 タイの人たちにはやや高め(こちらでは似たような麺類(クィッテオ)が1杯20〜25バーツで食べられる)ですが, 旅行者の箸休めにはいいかも。 でも,ちょっと足の便が悪いのが難点かな。 「ラムカムヘンのモール」といえば,日本橋の高島屋のようなモノで,バンコクの人たちは誰でも知ってますから, 自信があるかたはトライしてみては?


2003年1月31日(木)

緑が多いヤンゴンの街

 先週末,ふとしたことからミャンマーのヤンゴンに行ってきました。 ミャンマーは事前に入国ビザを取得する必要があるので,先週はバンコクのミャンマー大使館に行ったりと, 少し慌ただしかったのですが,無事にビザも貰えました。

 「スーチーさん軟禁」「軍事政権」「社会主義国家」等々,ミャンマーに関する情報はどれも恐そうなものばかりですが,実際に現地へ行ってみると, なんのなんの,どこにそんな恐いモノがいるんだろう,ホントにここが報道されているヤンゴンなの? というほど平和で静かな街です。

 写真のとおり緑が非常に多く,バンコクよりは勿論,月初めに行ったジャカルタよりもずっと緑が豊かです。 このせいか,実際ヤンゴンに向かう飛行機で「今朝のヤンゴンの気温は摂氏17℃」と聞いた時には,"え〜っ,ウソだろう?"と思ったほど。  しかし,翌朝は「寒かった」! 緯度的にはバンコクより北(バンコクは北緯14度,ヤンゴンは北緯17度)ですが,こうも気候が違うものです。 ちなみに, バンコクで気温が20℃を下回ることは,まずありません。(沖縄で雪が降るようなイメージです!)

「ミャンマー代表」
ミャンマー・ビール
 ミャンマーの人口は約4000万人,面積は日本のおよそ1.8倍。 ゆったりとした国です。 ヤンゴンは人口250万人といわれていますが,バンコクやジャカルタのように, ゴミゴミしたイメージはなく,なんだかいるだけで落ち着く感じがします。 実際,ヤンゴンを代表するデッカイ寺院の Shwe Dagon Pagoda(シェ・ダゴン・パゴダ:上の写真の左遠方の丘に見える黄金色の寺院))を訪れましたが, 日本とは雰囲気が違うのに,座ってるだけで気分が洗われるというか,いつまでもここにいたいなぁと感じたものです。 やはりアジアの見えない「共通性」のようなモノがあるのでしょうか。

 毎度お馴染みのビール,ミャンマーでは写真の「ミャンマービール」を飲みました。 なかなか美味かったですよ。  ミャンマーではこの他に「マンダレービール」や「ダゴンビール」など,幾種類か生産されています。 ミャンマーはイギリスの影響が強い国ですから,ビールが「しっかりしている」のも頷けますね。

 ヤンゴンで,今までに訪問した他のアジアの街(バンコク,ヴィエンチャン,プノンペン,ジャカルタなど)と決定的に違うこと,それは「バイクの数が極めて少ない」こと, これにはビックリしましたね。 どうしてなんでしょうか? 国が規制でもしているんだろうか? どなたかご存知だったら教えて下さい。