June 2004

2004年6月5日(土)
 日本に帰ってきて1週間が経ちました。 満員列車で通勤するフツ〜のサラリーマンしています。 通信事情はまだダイヤルアップのみ, これまでの取材道具も箱に入ったまま。 このサイトの編集部もまだ本格的には復活していません。

 不屈の白髪将官だった橋田信介さんが,甥の小川功太郎さんと共にイラクで犠牲になったことが,最終的に確認されました。 残念でならないのは, 私一人ではないでしょう。 奥さんや息子さんが一番辛かったことと思います。 報道によると,思い出の地バンコクで火葬されるそうです。  私もバンコクにいる時は,橋田さんの住まいに1年以上にわたって出入りし,いろんな話をしました。 日本語を話す機会が限られていた環境下で,いい励みになったものです。

 橋田さんから学んだいろいろなことを,これから活かして生きていくことが残された我々の使命と感じています。 ハシやん,これからはユックリ過ごして下さいね。


2004年6月6日(日)
タイで最も有名なワイン "Shala One"
 昨日は凄く天気が良かったので,家族で住まいから歩いて30分の公共図書館に行きました。 と,そういえば,タイでは公共の博物館はあったけど, 公共の図書館は無かったなぁ。 まぁよしんば公共の図書館があったとしても本は殆どタイ語でしょうから,外国人の我々には疎遠のところではあったでしょうけど...。

 日本人が如何に「活字好き」か。 日本では列車やバスに乗っていると,見渡す限りで幾人かは必ずと言っていいほど活字の本を読んでいます。 勿論マンガを読んでたり, 携帯電話を弾いている人も大勢いますが。 バンコクでは新聞やマンガを読んでいる人は見かけましたが,活字の本を読んでいるのは,西洋人がペーパーバッグを読んでいるくらいで, タイの人たちが本を読んでいる姿を見ることはあまりありませんでした。 またバンコクの街でも,新聞や週刊誌を売っている,所謂ニューススタンド的な店は多く見かけましたが, 「本屋」の数は少なく,また並んでいる書籍の数も我々の眼から見ると遙かに物足りないものでした。

 歴史や言語,文化に影響されるところが大きい面もあるのでしょうけど,日本人って活字好きな民族なんだなぁと,つくづく実感した週末でした。


2004年6月12日(土)
 季節外れというか,フライング気味の台風4号が日本にやってきました。 やはり気象の異常化は確実に進展しているようです。

 6月10日の木曜日,イラクで最期を遂げた橋田信介さんと小川功太郎さんの「お別れの会」が,彼らの故郷である山口の宇部で催されたので,参列してきました。  当日は会場に準備された200ほどの席では足りず,会場の後で立ったまま参列された方や,外で会場の様子をモニターで見ながら参列する方も含め, 総勢600人ほどの大勢の人が橋田さん,小川さんとの最後のお別れに集いました。

 私の印象は『いいお別れのセレモニーだった』。 日本とタイを比較して善し悪しを論じるつもりはありませんが,タイの葬式というのは人生を全うした人を天の国に送るイメージで, あまりジメジメした感じはありません。 今回の「お別れの会」の印象は人それぞれでしょうけど,橋田さんの奥さんの幸子さんが終始気丈だったのも,タイのしきたりをご存知だったからではないかなぁ? と思ったのは私一人ではないでしょう。 会の後に奥さんに直接会って,バンコクで橋田さんにお世話になったことを感謝しましたが,何か清々しいものを感じました。

 自分なりに気持ちの整理がついたら,橋田さんと過ごした日々を振り返ってみようと考えています。


2004年6月19日(土)
 今日は子供達が通う小学校の「学校開放日」でした。 と書くと「?」の向きの方もいらっしゃるでしょうから,補足します。 この「学校開放日」というのは, かつての授業参観日から発展したようなもので,土曜日でも子供達は普通どおり学校へ行って授業を受けます。 そして授業(今日は9時〜12時)の間,保護者や一般の人たちに学校を開放し, 自分の子供達の授業のみならず,校内の全てが自由に見られるというもの。 う〜ん。これはなかなかいいアイデア。 見に行く方は比較的自由に時間が選べるし, 子供のクラスのみならず他の先生の授業や学校内の設備なども見ることができます。 学校側では休み時間を利用して,体育館で校長先生の学校運営に対する取り組みの説明会も準備されていました。  初めてこういう「企画」に遭遇しましたが,小学生を持つ親としては歓迎です。

 さて先々週の台風4号に引き続き,今度は大きな台風6号が北上してきています。 進路は少しばかり東に振れてはいるものの沖縄はもちろん,九州・四国方面への影響は免れそうにないようです。  仕事柄,台風の時はいつも職場に缶ヅメになりますので,早ければ明日からでも「軟禁生活(笑)」を強いられそうです。

 橋田さんの追悼記事をこちらに上げました。 さっそくリンクを張って戴いたページがあるようです。 有難うございます。


2004年6月26日(土)
土曜日生まれの守護仏
プラ・プッタループ・パーン・ナークプロック
 梅雨真っ只中というのに雨が無かったのですが,ここ数日は「梅雨らしい」雨の日が続いています。 気が早かった台風6号は中国,四国,関西方面に被害をもたらしましたが, 皆さんのところでは大丈夫でしたか?

 「本格的」に日本の生活に戻って1か月になろうとしていますが,なんか物足りない感じがしています。 長く住んだバンコクに較べると,確かに日本は綺麗だし,(日本人好みの)モノが何でも揃っているし, 言葉にも不自由しないし...。 しかし,アヤシイものが並んでいる屋台や露店,排気ガスを撒き散らかして暴走するバス,スコールの後に出現する水たまり...。  混沌としたバンコクの情景に満ちあふれていた「活気」を感じないんですねぇ。

 まぁ別に「だからどうした」という訳ではありませんが,最近は「取材意欲」も消失気味です。 このサイトもこの後はどんな話題を取り上げたらいいのかなぁ?と,悩んでいる毎日です(笑)。

 ところで何の因果か,このサイトのアクセスカウンタが飛躍的に上昇しており,5月22日に5000アクセスを記録して1か月ほどしか経たないのに,もう6000アクセス間近になってますねぇ。  どうやら来週にも 6000アクセスに到達しそう。 運良く「6000」を引いた方,お知らせ下さいね。


2004年6月29日(火)
 今年も早いもので半分が終わろうとしています。 先日の活気の無い書き込みに対し,このサイトのファンの方から励ましのメイルを戴きました。  どうもありがとうございます。

おもしろタイリポートの華々しい(?!)履歴
アクセス日 付1,000アクセス
所要日数
カウンタ設置2002年11月28日
1,0002003年4月21日144日
2,0002003年9月12日144日
3,0002003年12月9日88日
4,0002004年3月6日88日
5,0002004年5月22日77日
6,0002004年6月29日38日
 さて,このサイトのカウンタが遂に 6000 アクセスを越えました。 今日(6月29日)の午後の時間帯に 6000 アクセスを迎えたようです。 5000 アクセスから今回はナント! 38日目。  4000→5000 アクセスの 77日に較べると半分の期間で 1000 アクセスを数えました。

 左に,このサイトの輝かしい薄暗い(笑)履歴をまとめてみました。 いやぁ,1000 アクセス毎の所要日数が着実に減少していますねぇ。 この分だと, 10000アクセスを越える頃には1日で 300アクセスもあったりして...(そんな事ぁないですね:笑)。

 こうしてアクセスカウンタが刻々と増加することを呑気にページに上げられるのも,平和な日本にいること,そして皆さんにおいで戴けるからに他なりません。 どうもありがとうございます。  このところ(いや,以前からか?)ページの更新がマンネリ気味ですが,コレに懲りることなく,今後とも変わらぬご愛顧をお願いいたします。