Berlin Report 2.3

東西を分けた壁


かつて東西を分けたベルリンの壁の跡
 初めて足を踏み入れた旧東側。 しかし,ここが1989年まで東西対峙の最前線だった「冷戦」の雰囲気は殆ど実感しません。 残された壁が当時の面影を語っているようです。

 ベルリンの壁が崩壊した 1989年11月9日,この日私はなぜか熊本のカプセルホテルにいました。 出張で熊本に行って,帰るつもりが飲み過ぎて(?!),カプセルホテルに宿を取った次第。 自宅ではなく, カプセルホテルで見たテレビ報道の映像が鮮明に蘇ります。 ブランデンブルグ門で,ベルリンの壁の崩壊と東西の隔たりの消滅を喜ぶ無数の人たち...。 東西冷戦の終結を告げる象徴的な出来事でしたね。  あれから13年余,あの時は本当に訪れるなんて夢にも思わなかったベルリンに,今来ているのです。

 東西の歴史を刻んだこのベルリンの壁は,1961年8月13日に当時の東ドイツ政府が突然建設を始めました。 総延長150km余りもの壁を,一朝一夕にして造り上げるのは困難でしたから, 旧東ドイツ政府は最初に道路や鉄道などの交通機関を遮断して東西間を封鎖,まずは鉄条網で西ベルリンを包囲し,その後兵士を配備して徐々に壁を築いていったわけです。


旧西側に書かれた旧東独製の車「トラバント」の絵
旧東側の自由への憧れを象徴した絵の一つ

 ベルリンの壁が存在した 10,315日,自由を求めて多くの人たちが旧東側から西側への「逃亡」にチャレンジしましたが,ベルリンの壁に阻まれ,命を落とした人たちも少なくなかったことは,歴史が語っています。

 現在残るベルリンの壁には,そんな旧東側の人たちが抱いていた自由への憧れが,誰が描いたともしれない様々な絵の形で残っています。 中でも左の壁を突き破るトラバント〜旧東ドイツの代表的な自家用車〜の絵に,あなたは何を感じますか?

 戦後,これといって特別な不自由もなく育った我々が,いかに幸せであったかを思い知らされたベルリンの壁でした。


ほぼオリジナルの形で残るベルリンの壁の一部


ベルリンの壁に沿ってナチスの歴史を綴る「テロのトポグラフィー」


自由への憧れを描いた絵があちこちに残る


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