タイを離れるまでに,タイ語がスラスラ読めるようにはならなかったけど,新聞の見出しや道路標識の一部などは,何と書いてあるか少し読めるようなっていた。 仕事でのチョットしたメモや,郵便の宛先にタイ文字でタイ語を書いた。
周りのタイの人達は「よく字が書けるようになったなぁ」とおだて半分で褒めてくれた。 日本にいる外国人が,ひらがなを書くようなものなのだろう。
タイの人達とのパーティに呼ばれた。 彼らはカラオケが大好き。 そこではタイで何故か広く流通している谷村新司の「すばる」がリクエストされ,いつも歌わされていた。 しかし,歌詞を完璧に覚えていないので,ついついカラオケの画面に頼ってしまう。
出てくる歌詞はアルファベット(ローマ字)のこともあったが,中にはタイ文字のものもあった。 タイ文字のカラオケ画面の時はお手上げ,その時は適当に誤魔化して歌っていた。
タイ文字を少し覚えた頃,「すばる」はタイ文字のカラオケでも歌えるようになっていた。 新聞の見出しや街の広告や看板に何が書いてあるか,正確ではなくても,おぼろげながらも判るようになった。 バンコクの外国人にとってタイ語が判らないことは結構不便で,地元の催しや停電,
公共交通機関の運行状況などがリアルタイムに判らないもの。 これは日本でも大差ないだろう。 タイ語が少しでも読めるようになると,世界が拡がったのは確かであった。
冷静に考えると「日本語の難しさ〜文字編〜」に書いたとおり,2000以上もの,世界でも最も多くの文字を操る日本人であれば,たかが100にも満たないタイ文字を覚えることなんて,大したことはないはず。
と考えるのは簡単だけど,我が頭ん中を顧みると,もうこの歳になってからじゃ時間がかかるかな? とはいえ筆者の錆び付いた頭でも,タイ語の辞典を引いて,「世界一長い地名を探る」の如き,分析の真似事をする程度はできるもんだと,自分勝手に納得している。 〔2005年12月記〕