Episode 10
陸続きの国境 
 陸続きの国境・・・日本ではピンと来ないが、タイは西にミャンマー、北にラオス、東にカンボディア、そして南にマレーシアと陸続きの国境を接する国である。  本サイトの 国境特集 では、4つの往来ポイントについてリポートした。 陸続きの国境といっても、タイの場合は国境線沿いに鉄条網が張り巡らされているわけでも、 兵士が24時間警戒しているわけではないが、国境に近づくに連れて軍が検問を張っていた。

 国境特集では、国境の各往来ポイントを取材した時点でのことを基に書いたので,現在でも同じ状況とは限らない。 2国間の関係のみならず、何の前触れもなく突然状況が変わることは日常茶飯事。 それぞれの国境の往来ポイントを通過しようとするのであれば、 外国人の国境越えが可能か否か、どこでどのような書類や手続きが必要かなどについて大使館や領事館などの情報に基づき、必ず自己責任で調査することが肝要である。

 タイに居る時に、こんな笑い話を聞いた。 第三国から遙々タイに辿り着いた2人組の密入国者が、タイの田舎町でタイの人に相談した。 「これからバンコクに行きたいのだが、途中で警察に捕まって、どこから来たのかと聞かれたら何と答えればよかろうか?」  タイ人は「おまえは、ナコン・ラチャシマーから来たと言え、そしておまえはウボン・ラチャターニーから来たと言え。」とアドバイスした。 その足でバンコクに向かった2人組、案の定警察に職務質問された。 「おまえ達はどこから来たのか?」  すると1人が「ナコン・ラチャターニーから来ました。」と答え、もう1人が「ウボン・ラチャシマーから来ました。」と答えた。 2人は、ほどなく捕まってしまった・・・。

 これはタイが陸続きの国境を有するが故の笑い話であり、密入国者が身近なものであることを窺わせる話題であろう。 実際タイ国内、特に国境周辺には国籍が明確でない民族が多く住んでいる。 タイ周辺の歴史を紐解くと、 確かにいくつかの王国などが時代ごとに勢力を拡大・縮小させており、特定の地域をベースにしていた少数民族は、その時々の勢力下に入った。

 アジアとアフリカの国境は、欧米人が勝手に引いたものだと言われている。 現在の国境は、19世紀後半にイギリス・フランスがインド〜東南アジア地域を植民地化した時の勢力範囲に基づいたもの。 それまでの時代、時の勢力の移り変わりはあったにせよ、 彼らなりのローカル・ルールに基づいて交流してきたそれぞれの民族にとっては、大きな迷惑になっているといっても過言ではないだろう。

国境経済 
 陸続きの国の間では、往来できるポイントが限られていることが多い。 しかしそのポイントは、必ずしも2国間の往来のためでなく周辺の住民のために開放されているところもあり、地元民はパスポート無しで、何らかの身分証明書や、 場所によっては「顔パス」で国境を通過できる。 そのようなポイントでは、地元民以外、特に外国人は通過できないケースもある。

 本サイトで紹介している 国境特集 でおわかりのとおり、2国間で国境が開放されている地点では少なくともどちらか一方で市場が開かれている。 国境の市場も、元はと言えば地域住民の交易の場であったものが、 国境線を引かれたばかりに2国間の「貿易」の場になったところも少なくないのではなかろうか。 どこの国境市場でも国境を接する2国の物資のみならず、西はインドや北は中国、東はベトナムなど、各地産の生活関連物資が数多く売られており、バンコクでは入手できない「レア」なモノも並んでいたようである。  国境の片方にしか市場が無い場合、もう片方の国に住んでいる人達は日常の買い物、生活必需品を手に入れるために国境を越えなければならないのである。

 今となっては、Duty Free Shop(免税店)が出現している国境市場もあるようだが、ここが活況を呈するのは国境が「通常どおり」開かれていることが前提である。 2国間の関係悪化などで国境が閉鎖されようものなら、通常の交易はもちろんのこと、 地元の住民にとっても、いつも買い物に行っている市場に行けなくなるのだから、大変な影響を及ぼすことになることを忘れてはならない。

右側通行 
 日本の車は左側通行、タイも車は左側通行。 日本人がタイに行っても、交通社会面で困ることはない。 しかし、タイ周辺のミャンマー、ラオス、カンボディアの車は右側通行である。  日本で慣れ親しんだ「左側通行」社会から右側通行の国に行くと、違和感というより時として危険な目に遭うことさえもある。

 タイでの経験ではないが、1996年にアメリカに滞在を始めた時の違和感は凄いものだった。 車無しでは事実上生活できないアメリカでは、もちろん車を使っていたが、生活を始めてすぐの頃、左ハンドルの車を運転しているにもかかわらず、 無意識のうちに平気で左車線を走っていた。 対向車に出会う前に気づいたから良かったようなものの、一歩間違えば大事故に繋がる。

 また道路を横断する時も日本にいる時のクセで、まず右から見て、その後に左を見て車が来ないことを確認した上で道路を渡ろうとすると、左からクラクションを鳴らした車が通りすぎた。 アメリカやヨーロッパでは、 滞在初期に事故に遭遇する日本人が後を絶たないらしい。 経験して「なるほど」と納得したものだ。 このような目に何度か遭遇した後、道路横断の前には先に左から見るようになった。

 1997年にアメリカから日本に帰ってきたが、この時も1年前と同じ経験をし、学習した上でやっと「日本人」に戻ることができた。 この点タイは滞在し始めた時も、日本に帰ってきてからも特別な学習は必要なかったので楽だったが、ミャンマー、ラオス、 そしてカンボディアを訪れた時には、アメリカでの経験を思い出して「学習」した。日常の交通システム一つとってみても「自分の身の安全は自分で守らなければならない」ことを実感したものだった。 〔2007年4月記〕