Cambodia Report 4.7

アンコール・トム
−その4:王宮前広場−

アンコール・トムの王宮東面を南北に走る象のテラス

 アンコール・トム内部の王宮までやってきました。 王宮の東側には大きな広場があり,王族が広場の催しを観閲できるように作られた一段高いテラスが残っています。  このテラスには,アンコール王朝の乗物であり,また闘いでは戦車の役割も担った象の姿が刻されていることから,いつしか「象のテラス」の名が付きました。 このテラスの上には, 王の謁見の館が建っていたのですが,今ではその姿はありません。

 王宮敷地内には,石造りのピミアナカス寺院が残るのみですが,かつては木造の王宮がありました。 アンコールの遺跡群では気候の関係もあるのか,現在では木造の建築物は殆ど残っていません。

 王宮を左に見ながら北に進むと,ライ王のテラスがあります。 このミステリアスなライ王の本物は,プノンペン国立博物館に保存してありますので,興味ある方は足を運んでみて下さい。


象のテラス
幅14m,高さ3m 程のテラスが王宮の東側を南北に 300m ほど連なっている。 12世紀から13世紀にかけてジャヤヴァルマン7世が築き, その後ジャヤヴァルマン8世など後継の王が増築したと言われている。
ここは,王族が軍の観閲を行った場所で,東側には一面に象による狩の様子が刻され(上),中央部分にはヴィシュヌ神の乗物であるガルーダがテラスを支えるように彫られている。(左)


ピミアナカス
10世紀後半にジャヤヴァルマン5世(10世紀初頭にヤショーヴァルマン1世という説もある)が建立に着手し,11世紀はじめのスーリヤヴァルマン1世の時代に完成したと言われるヒンドゥー教の寺院。  この建物は東西35m×南北28m で,高さは12m とこぢんまりとしたもので,王が儀式を行うための寺院であった。


王宮東面の北側に位置するライ王のテラスの東外壁(左)とライ王の座像(右)
このテラスも象のテラス同様,ジャヤヴァルマン7世が建立し,その後ジャヤヴァルマン8世が拡張したものとの説が有力。 高さ 6m,長さは25m ほどで,迷路のような構成になっている。
テラス上部に置かれているのは高さ 1m のライ王(スダイッチュ・クムロン)の座像。 このモデルについては,ライ病であったバラモン教の富の神・クーベラ説,マハーデーヴァ(最高神)説, アンコール初期の王・ヤショーヴァルマン1世説,地獄の神・ダルマラージャ(閻魔大王)説など諸説あるが定かではない。 この像はレプリカであり,本物はプノンペン国立博物館に保管されている。


ライ王のテラスのレリーフ
テラスの内壁や外壁に様々なレリーフが刻まれているが,1910年代まで内壁は土に埋まっていたので,内側のレリーフは比較的良い保存状態である。
壁面の上部には剣を持つ神や女神デバターなど(左上)が,下段にはナーガ(5つ頭の蛇の神様:左下)が彫られている。 肌が荒れた感じのレリーフもあった(上)が,これはライ王のテラスのレリーフ故か?



ライ王のテラス北側から望む王宮前広場全景
 広大なアンコール・トムを巡り歩いてきました。 各遺跡のスケールはもとより,王宮前の広大な広場も当時の王朝の強大な権力を感じると共に,大陸の大きさを実感します。 これも狭い島国に住む日本人故だからですかねぇ?

 アンコールの遺跡には,当初仏教寺院として建立されたものの,その後の王がヒンドゥー教を信仰したことから,ヒンドゥー教寺院へと「改築」されたところが少なくありません。 「改築」されたとはいえ,それが必ずしも徹底されてなかった部分があり, 仏教とヒンドゥー教の融合や変遷について,建築様式,像やレリーフなどを目の当たりにしたことは,素晴らしい歴史や宗教の勉強になりました。

 まだまだ行きたい遺跡があちこちにあるのですが,今回のアンコール遺跡巡りはここまで。 この後は,チャンパの軍が攻めてきたトンレサップの湖に,カンボディアの人々の生活の一面を見に行くことにしましょう。


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