Cambodia Report 4.6

アンコール・トム
−その3:バイヨン(下)−

アプサラス(天女)を刻したレリーフ

 このページでは,美しいレリーフの「特集」です。 バイヨンは,建立を始めた王:ジャヤヴァルマン7世 (1181〜1201年頃) とその後継の王,インドラヴァルマン2世 (1201〜1243年頃), そしてジャヤヴァルマン8世 (1243〜1295年頃)の中心寺院。

 実質的には9〜14世紀に栄えたアンコールにとって,4〜16世紀にかけて今のベトナム中部〜南部を支配していたチャンパは隣国であり,同時に敵国でもありました。  アンコールとチャンパは歴史上何度となく戦いを交えています。 バイヨンの建立直前の時期では,1177年にチャンパの大軍によって南部のトンレサップ湖から攻め込まれ,王都を占領されました。  この後1181年に王位についた人こそ,バイヨンを含むアンコール・トムを建立したジャヤヴァルマン7世で,彼は1197年に挙兵してチャンパを攻め,この占領からアンコールを回復したのです。

 バイヨンのレリーフには,これらのチャンパとの戦いの様子などが刻まれていますが,同じレリーフでも宗教や政治の影響が強い アンコールワットのもの と異なり, 貴族の日常や庶民の生活が描かれています。 宗教や歴史の背景などを知らなくても,素直に楽しめるレリーフの一部をお楽しみ下さい。


チャンパ軍との戦闘に向かうクメール軍の行進
両方とも第1回廊東面に刻されたクメール軍の様子。 象の「戦車」と共に,歩兵が進軍している。 左のレリーフの下段では, 右を向いたクメール軍の兵士が,左を向いているチャンパ軍の兵士と戦っている様子が彫られている。


アプサラスとデバター
中央祠堂東〜南面にある美しいレリーフ。 第2回廊内側のテラスで見られる。 左の踊っている姿がアプサラス(天女),右の立像がデバター(女神)。


戦いを前にした王宮の様子
戦闘を控えて呑気に(?)チェスに興じている様子なども,リアルに表現されている。 第1回廊の南面ほぼ中央の東側にある。


寺院の建設工事風景
西面ほぼ中央部南側の第1回廊内のレリーフ。 中央上部は,この寺院に奉納される四臂(4本の腕)のヴィシュヌ神。 その下では,てこや綱を用いるなどの方法で寺院を建設している様子が表されている。


バイヨンの三大美人デバター(?)
ランダムに撮影したデバター像。 アンコールワットバンテアイ・スレイ のデバターとは, ひと味違った感じがするのは,建立された時代が違うからだろうか?



シルエットが映える北門からバイヨンを後にする
 駆け足で回ってきたバイヨン,如何でしたか。 アンコール遺跡の心臓部ともいえるバイヨンの,他の遺跡とは違った一面を垣間見ることができたのではないでしょうか。 ここに残されている庶民の生活は, 現在のカンボディアでもその一部を見ることができるので,時間が許せば地元の人々の生活にも眼を向けてみたいものです。

 ここで紹介した画像やその解説は,バイヨン全体から見るとほんの一部。 これから行ってみようと考えている方や,既に足を運んで懐かしくご覧戴いている方,あるいはアンコールの遺跡や歴史に興味を持つ皆さんにとって, この辺りのページが某かでもお役に立つのであれば,編集部にも生産性効果があろう(?)というもの。

 炎天下の暑い中,バイヨンの北門まで辿り着きました。 ここでバイヨンを後にして,次の目的地の王宮方面に足を進めて行きましょう。


前のページへ カンボディア
旅行記
トップに戻る
次のページへ